それでもボクはやってない

相方の要望により観に行くことに。
観る前から嫌な予感はしていたが、的中。ぎゃーす!観終わった後、相方とちょっとしたケンカになった。お互い言いたいことが伝わらずに空回りして、赤レンガのまわりをぐるぐるまわる羽目に。
ま、中華街で元に戻ったンやけどね。

(ストーリーは各自ご参照あれ。)
周防さんが描きたいのは、日本の裁判制度の問題点(警察の取調べ、裁判官の人事にまつわる問題点等々)なのだということはよく分かる。そして、司法のシロートさんである主人公が訳の分からないままに取り調べられ、「おかみですもの、さすがにシロをクロにはせんだろー」という希望をあっさりと打ち砕かれ、まもってくれるはずの国選弁護士には「you, 認めちゃいなよ」ぐらいの勢いでどん底に突き落とされていく、そうした絶望的な状況に置かれた主人公の内面の描写はうまい。とてもうまい。

だが、しかし、だ。
痴漢「冤罪」が起こるのは何故か。

痴漢犯罪がなくならないからではないのか。

そして瀬戸朝香演ずる女性弁護士が「ヒステリック」に描かれるのは何故か。映画の中では、痴漢冤罪、痴漢犯罪の関係性は女性弁護士が「ヒステリック」に叫ぶことでしか描写されない。どっちかっていうと軽くスルーどころか、「おんな、ギャーギャー言い過ぎだわさ」ぐらいの勢い。
「冤罪こえー、オレたち可哀想」
監督の意図するところから離れて、容易に「痴漢に『ヒステリック』な女性」カテゴリーが成立してしまいそうな。「俺たち可哀想」軍団に回収されてしまいそうな。前提が危うすぎるんだよ。

冤罪を描くのに、題材が痴漢でなければならなかったのはどうしてなんだろう?
私は一応法律学科卒デス。
皆さんご存知のように、この手の問題(冤罪=日本の司法制度の問題)は、ながーく論争となってきたのでアリマス。

前日の某学会研究会で展開された論争、「マスキュリニティ」の論調とかぶって、腹立たしいのと悲しいのとで脱力。